津山観光案内

1603年、森蘭丸の末弟 森忠政が江戸の新将軍 徳川家康により、美作の地に信州川中島から大名として入封されました。忠政を始めとして森家4代が95年に亘り美作を治めたのです。美作地方のいくつかの地を視察した後、忠政はその地を選び鶴山と呼びました。忠政はその名を津山と変え、13年後に完成する自らの城の築城を開始しました。城下町の設計と建築が同時に始まったのですが、忠政は最初に治水に関心をもち、吉井川の流れを変え、北岸に石壁を築いたのです。“寺町”が城下町の東端と西端に築かれた。木とわら屋根でできている農家や庶民の家々と対照的に、寺は城と同様、瓦(土)と石壁で築かれました。それぞれの端に“寺町”を配置することは城防衛の役目でもあったのです。万が一、敵が攻撃してくれば、侍は最初に寺を起点に津山を守り、必要とあらば退却し、城自体を起点にして闘ったでしょう。
1692年には、西寺町は24の寺から構成されていて、庶民は原則として同業者たちと共に町場に住みました。
それ故、町場はしばしば単純にそこに住む人々の職業の名を与えられたのです。“鍛治町”のように…

イナバ粧品店
イナバ粧品店
〒708-0841 岡山県津山市川崎78-17
交通手段/津山ICから1.4km、徒歩18分
時 間/AM.10:00~PM.6:00
定休日/毎週水曜日
TEL/0868-26-1018
 言わずと知れた、B’z稲葉浩志さんのご実家。毎日県外から多数のご来客があります。
稲葉さんの多数の貴重品や、元気なお母さんに是非会いに来てください。

鶴山公園
鶴山公園
〒708-0022 岡山県津山市山下
交通手段/JR津山駅から1km、徒歩15分
時 間/(4月~9月)8:40~19:00・(10月~3月)8:40~17:00
(さくらまつり期間中)7:30~22:00
休業期間/12/29~12/31
費 用/大人210円、小人100円
TEL/0868-22-4572
 津山城は慶長9年(1604)、初代津山藩主・森忠政が13年の歳月を費やして築いた、鶴山全体を石垣で固めた平山城です。明治4年、天守閣など建物は撤去されましたが、明治32年(1899)、公園にするという条件で津山町が譲り受けました。翌年から公園化に向けて、福井純一郎らを中心に桜植樹が行われ総数5千本もの桜が植えられました。春にはその桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れます。また、今年の春復元された備中櫓とぼんぼりに浮かぶ夜桜は、昼間とはまたひと味違った幻想的な美しさで桜見物をする人々を迎えてくれます。

衆楽園
衆楽園
〒708-0004 岡山県津山市山北628
交通手段/JR津山駅から1.5km、徒歩20分 バス10分(衆楽公園前下車)
時 間/(4月~10月)7:00~20:00・(11月~3月)7:00~17:00
費 用/無料
TEL/0868-23-6507
 明暦3年(1657)に津山藩の二代藩主・森長継が京都から作庭師を招き、南北にひろがる池に4つの島を配した近世池泉回遊式の大名庭園として築造されました。中国山地を借景としたスケールの大きさで、同じ様式の後楽園よりも古く県の名勝に指定されています。水面に映る島影の美しさと四季折々の木樹の枝ぶりからは、いかにも京風の洗練された優美さを感じることができます。 衆楽園は300年以上の長い歴史を経て、時は移ろい人は変わり今では市民を楽しませる公園に姿を変え定着しています。そしてこの公園は、ひととき日常を離れくつろぐ空間であり、訪れる人を優しく包み込みます。

武家屋敷跡
武家屋敷跡
〒708-0052 岡山県津山市田町
交通手段/JR津山駅から1.5km、徒歩20分
 津山城のすぐ西側の田町は、城跡の石垣も望めるしっとりとした街並みです。その中でも目を引くのが、堂々とした長屋門と、屋敷をぐるりと囲っている白壁の武家屋敷で、千数百平方メートルの広大な敷地をもち、当時のままの主屋や蔵も残っています。
 この地に武家屋敷ができたのは、慶応9年(1604)に始まった津山城の築城と同じ時期です。武家屋敷の前を走る街路は、基盤の目のように地区を東西南北に貫き、江戸時代につくられた道がほぼそのまま残っていて、現在の津山の町づくりのルーツがこの時期にあったことを教えてくれます。
 武家屋敷も現在では住宅開発などで、相次いで姿を消しているが、この武家屋敷の前を通ると、上下姿の武士達がこの道を歩き、登城していた姿が想像できます。

つやま自然のふしぎ館
つやま自然のふしぎ館
〒708-0022 岡山県津山市山下98-1
交通手段/JR津山駅から1km、徒歩15分
時 間/9:00~17:00(プラネタリウム館は日曜日13:20~)
休館日/第1月~土曜日(9月)、12/30~1/2
費 用/(自然のふしぎ館)一般700円、小人600円、幼児400円
(歴史民俗館)一般500円、小人300円
(共通券)一般1,000円、小人700円
TEL/0868-22-3518
 津山を訪れたら一度は行ってみたい総合博物館です。津山観光センターの隣です。鶴山公園に上がる石段の手前にありますのですぐ解ります。全国的にも貴重なコレクションが多数あり、時間の経つのを忘れてしまいます。全部で12室あり、文字どおり不思議な体験が出来ます。
 館内には2万点以上の実物標本を種類別に展示室を分け、迫力あるジオラマ式に展示されていて、後世に残す貴重な資料となっています。お勧めです。

グリーンヒルズ津山
グリーンヒルズ津山
〒708-0806 岡山県津山市大田512
交通手段/JR津山駅からバス(スポーツセンター行き)18分
中国自動車道、津山ICから車で20分
中国自動車道、院庄ICから車で20分
 自然とのふれあいや多彩な交流活動を楽しみながら、心身ともにリフレッシュできる、芸術文化とアミューズメントにあふれた施設をめざして、岡山県と津山市が共同で整備した都市型公園です。
 約29ヘクタールの公園内には、メイン施設であるグラスハウスの他、四季折々の花を色とりどりにアレンジしたフラワーガーデン、芝生の緑が目に鮮やかな多目的広場、アヤメやハナショウブで飾られた北調整池や霧のブリッジなどがあるウォーターガーデン、遊具を揃えたトリムガーデン、野外ステージなどが美しく配置されています。

沼の弥生住居跡
沼の弥生住居跡
〒708-0825 岡山県津山市志戸部455
交通手段/JR津山駅から3.5km、バス20分(沼住居跡下車)
時 間/「文化財センター」9:00~17:00
休館日/月曜日(祝日のときは翌日)、12/27~1/4
費 用/無料
TEL/0686-24-8413
 津山の原点ともいえる沼の住居跡はゆるやかな丘陵地で古代ロマンを漂わせています。ここでは約2,000年前の中期農耕社会を垣間見ることができる史跡公園があります。昭和27年から発掘調査が行われ、30年から59年にかけて弥生時代中期の竪穴住居2棟と高床倉庫1棟を復元して、弥生時代の暮らしを再現しています。
 竪穴住居の面積は約64平方メートル、高さは約4メートルで、かなりの広さです。夏は涼しく冬は暖かい快適な住居は、カヤと丸太で造られていて、土や木、竹などを巧みに使い、弥生人の美しさへのこだわりがうかがえます。

中山神社
中山神社
〒708-0815 岡山県津山市一宮695
交通手段/JR津山駅から6km、バス20分(中山神社下車)
TEL/0686-27-0051
 津山市の北、美作一の宮にある珍しい中山造りの建築。本殿は慶長4年に建立され、国の重要文化財に指定されています。牛馬の神としても有名で、奥宮には「今昔物語」に記載されている「猿神社」もあり必見です。

作州民芸館
作州民芸館
〒708-0046 岡山県津山市西今町18
交通手段/JR津山駅から1.4km、徒歩18分
時 間/9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日/月曜日(祝日のときは翌日)、12/29~1/3
費 用/無料
TEL/0868-24-6690
 作州民芸館は、城西の出雲街道の伝統的な街並みの中にあります。大正期に建てられた銀行の建物を利用して、津山市地方の民芸品、郷土玩具などを展示しています。この展示品を通じて郷土の歴史や文化、および手仕事の産業に対する認識を深めるとともに、こうした民芸品を生み出した内陸の風土や工人たちの真摯な精神を感じとることが出来る場所です。
 そして、今後地域の伝統的産業や新たな手仕事の産業の振興や育成を図り、市民生活のゆとりとうるおいや伝統を活かした美しい生活環境の整備を追求し、特色のある地域の活性化を願って設置しました。

徳守神社
徳守神社
〒708-0047 岡山県津山市宮脇町5
交通手段/JR津山駅から1km、徒歩15分
TEL/0868-22-9532
 作州民芸館は、城西の出雲街道の伝統的な街並みの中にあります。大正期に建てられた銀行の建物を利用して、津山市地方の民芸品、郷土玩具などを展示しています。この展示品を通じて郷土の歴史や文化、および手仕事の産業に対する認識を深めるとともに、こうした民芸品を生み出した内陸の風土や工人たちの真摯な精神を感じとることが出来る場所です。
 そして、今後地域の伝統的産業や新たな手仕事の産業の振興や育成を図り、市民生活のゆとりとうるおいや伝統を活かした美しい生活環境の整備を追求し、特色のある地域の活性化を願って設置しました。

城東むかし町家(梶村邸)
城東むかし町家(梶村邸)
〒708-0832 岡山県津山市東新町40
JR津山駅から2.5km、中鉄バス8分(天神橋下車、徒歩2分)
JR東津山駅から1.5km、ごんごバス10分(東新町下車、徒歩1分)
時 間/9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日/火曜日(祝日のときは翌日)、12/29~1/3
費 用/無料
TEL/0868-22-5791
 出雲街道が東西に走り、その中に在るのがこの旧梶村邸。江戸時代の後期に建てられた母屋から昭和初期の蔵まで、各時代の生活様式に対応した造りが保存されています。
 全体で梶村家の所有としては8つの建物があります。母屋と離れ、大きな座敷、洋風と和風の蔵、裏の客間(特別室)、茶室、そして洋館です。1928年に更に7m×34mの土地区画を西側の隣家から購入し、梶村家の所有地を31.5m×34mという現在の大きさに広げました。母屋は2階建てですが、2階は実際には物置として使用される低天井の屋根裏部屋です。家の前には小店があり、事務所や店舗として利用されていました。江戸時代(1603~1867)、この辺りは板を張られていましたが、それ以前には土間(土の床)として放置されていました。家の東洋建築部分は、江戸後期に建てられ、洋館部分には、明治時代(1868~1912)に、畳の間が加えられ、そして内装は、昭和初期(1930)に修繕されました。2階建ての座敷は大正時代に建てられ、現在の建物は極めて良好に保存されています。洋風につくられた東の蔵と家も、また大正時代に建てられたものです。後世の修繕は増築に限られただけではなく、建物正面や現存する建物の構造の変更をも含んでいました。石や木の格子細工(組格子・格子構造)は通りに面した元の土壁に付け加えられたもので、更に木製の補強(支え)が屋根の下に配置され屋根を9cmから15cmにまで上げています。
 長い時代を通して、母屋は様々な修繕を施され、家は、その元々の形に復元するのは難しくなっています。それ故、必要な修復だけが施されてきているのです。梶村邸の建築は母屋の建築と共に江戸後期に始まり、洋風の蔵が建てられた昭和初期まで続きました。様々な増築と修繕は各時代の生活様式の変化を反映し、それ故、梶村邸は貴重な歴史遺産なのです。

箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧家
箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧家
〒708-0833 岡山県津山市西新町6
JR津山駅から2km、中鉄バス8分(天神橋下車、徒歩2分)
JR東津山駅から1.5km、ごんごバス10分(東新町下車、徒歩1分)
時 間/9:30~16:00
休館日/月曜日(祝日のときは翌日)、12/29~1/3
費 用/無料
TEL/0868-32-2121
 1799年(寛政11年)9月7日、箕作阮甫は箕作貞固(三代丈庵)の第三子として西新町に生まれ、1812年(文化9年)戸川町に転居するまでの13年間をこの旧宅で過ごしました。
 阮甫は、父・兄の没後家督を継ぎ、藩の永田敬蔵・小島廣厚から儒学を学ぶ一方、京都に出て竹中文輔のもとで医術習得にも励みました。修業を終えて京都から帰り、本町三丁目で開業し翌年結婚しました。その後、藩主の供で江戸に行き、津山藩医宇田川玄真の門に入り蘭学の習得に努めました。以後、学問研究のため三年間江戸詰の許可を得たのです。いったん津山に帰りましたが、1831年(天保2年)以後は、家族とともに江戸に住みました。その後、深い教養に加え、持ち前の語学力を発揮して、ペリー、プチャーチンの到来時に外交文書の翻訳に携わり、日本の外交交渉に重要な役割を果たしました。また、著作に専念し、医学関係に限らず、語学・地理・歴史・兵学等多岐にわたって出版するなど、洋学の発展に寄与しています。一度は隠居しましたが、幕末の状況はこれを許さず翌年には「藩書調所教授職」に再度登用され、洋学をもって始めて幕府直参に取り立てられましたが、翌年江戸湯島天神中坂下で没しました。行年65歳でありました。

作州城東屋敷
作州城東屋敷
〒708-0834 岡山県津山市中之町19
JR津山駅から1.5km、中鉄バス7分(中之町下車、徒歩2分)
JR東津山駅から2km、ごんごバス12分(中之町局前下車、徒歩1分)
時 間/9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日/水曜日(祝日のときは翌日)、12/29~1/3
費 用/無料
TEL/0868-24-6095
 出雲街道を歩いていると、白壁と火の見櫓がひときわ目をひく屋敷があります。ここには「だんじり展示館」があり、県指定文化財の豪壮なだんじりが4台展示され、見ごたえも十分。展示されている「だんじり」は10月の津山まつりに繰り出し、市街地をにぎやかに練り歩きます。